表刀神社(うえとのじんじゃ)の創建は古く記録では奈良時代の天平神護年間(765〜766)ころと伝えられ延喜式内社奥州一百座の一と言われ十二の末社があったという。祭神は伊耶那美命(いざなみのみこと)の外に須佐之男命(すさのをのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)である。また戦国時代末期、時の奥州探題、大崎義隆公が社殿修復の時、同時に弁財天を祀ったといい、今は通称弁天様ともいう。
周辺は昔、千枝湖(ちえのみずうみ)という入りくんだ湖沼で、古歌みちのくの華嶋山に陰(かげ)落ちて木末(こずえ)に魚の、のぼるとぞ見ゆ(読み人知らず)にあるとおりであった。付近一帯を弁天崎という。
昭和二十三年(1948)九月アイオン台風で蝦沢堤(国道四号線)が決壊したときは沼田一面冠水し往昔の千枝湖再現の観があったが萱刈潜穴の改修により一面美田と化した。
明治四十四年八雲神社、羽黒神社を合祀した。祭日は九月二十五日、社殿南方入口の笠松、東南の大杉は古川市指定の天然記念物だったが、笠松(赤松)は虫害で枯れた。大杉は今も樹勢旺盛で市内最大の巨木である。神徳神威は五穀豊穣、商売繁盛、健康安全、夫婦円満、子孫繁栄、交通安全、学芸上達、国家安泰、武運長久、大願成就に霊験ありという。
姉歯 景孝 撰文