斗瑩稲荷神社と千葉周作

古川荒谷に鎮座する斗螢稲荷神社は文治三年(1187年)創建で祭神は伊勢の外宮と御同神である。社伝によれば源義経が兄頼朝の勘気を受け奥州平泉へ下向の際創建された。本社は京都伏見稲荷大社で五穀豊穣、商売繁盛の神様で、この地方の稲荷信仰の中心である。

荒谷は奥州街道の宿場町で奥州中歌(仙台国分町から盛岡までの宿場を詠んだもの)に〝雪の古川 荒谷冷たや〟と詠まれている。旅館や茶屋があり、物産の集積地、郵便の取次所でもあった。また、文人墨客が行き交うところでもあった。荒谷に千葉周作(幼名於菟松=オトマツ)が父忠左衛門と共に、気仙沼村からやってきたのは四、五歳の頃で荒谷村の千葉幸右衛門頼ってきた。幸右衛門は北辰夢想流の免許皆伝で周作も修行した。周作が十一、二歳の頃のカメ峰退治や桜ノ目石母田家での盗人退治などの武勇が伝わっている。幸右衛門は現在の警察の駐在所のような役割もしていたようで、父と共に周作も手伝っていたと思われる。神社境内に屋敷跡があり、ここには座敷牢があった。荒谷には十四、五歳までおり文化四年(1807年)父と共に江戸に行き、松戸(現松戸市)の浅利又七郎の元で一刀流を学び、文政八年(1825年)神田お玉ヶ池に玄武館道場を開き、江戸三大道場の一つといわれた。

周作の弟定吉も北辰一刀流の創設に尽力し剣は兄に勝るともいわれた。江戸桶町に道場を構えた。明治維新に活躍した坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝で弟定吉の弟子である。

また、幕末に浪士隊(新撰組の前身)を結成した、山形・庄内出身の清川八郎は周作の弟子である。周作は水戸藩に仕え、定吉は鳥取藩に仕えた。

北辰は北斗七星を表しており、斗螢に由来していると思われる。「螢」は光り輝く玉のことで、「星」を表しており、このことから海上安全、大量満足の神様としても信仰がある。境内には古い錨が奉納されている。

宮司 橋本正敏